2009/12/18(FRI)
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2702)恩師の退官
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大学時代の研究室の恩師が来春退官する旨連絡があった。
僕が在籍中は40代後半でたしか50歳のお祝いをした記憶がある。結構やりあったけど、先生が退官されると伺うと、残された若い(って若くもないけど)僕らががんばらないといけないな、、、と当たり前の感傷に浸ってしまった。
また、これまた母校で退官間際の滝澤先生(構造解析学の先生)が大著を上梓したので、OBに宣伝せよとの指令あり。意匠系だった僕にまでメイルが来たため構造事務所の方に紹介文を書いて転送。
僕が在学中は北大にはコンクリートの城先生、解析学の滝澤先生など個性的な先生がたくさんいらっしゃり、いずれもかなりスパルタでした。
滝澤先生の授業は、学部レベルでいきなりテンソルや偏微分方程式が等がでてきて、僕にはまったく理解できず、、、、というかついていける学生が年に一人いればいいくらいの難易度でした。そんな訳で、定期考査も全員落第で、単位取得の為に、各人めいめい先生と面談しレポートを書いて単位をもらうのが通例となっており、私は鉄骨構造の系譜をギーディオンや渡辺さん坪井さんの著作から抜粋しなんとか卒業させていただいたのが思い出されます。城先生の授業も弾丸の様なトークと板書で一時間半の講義で大学ノート7~8枚もノートをとったでしょうか?これが半年続くとノート二三冊にもなります。今、学校で教えてみると、講義の前夜は徹夜なんか当たり前なので、こうした密度の高い講義をすること自体がかなりの労力を伴っていたと想像できます。
卒業後就職したアトリエでは木村俊彦先生に構造をご指導いただくことが多く、必然的に、苦手だった構造にも関心をもつことができました。打ち合わせの際、出身大学の話をすると、振動理論では滝澤先生が、コンクリートの解析手法では城先生は大変有名とのお話しで、在学中にもっと構造勉強しておけば、、、と当時悔やんだものです。当時の北大には環境計画の荒谷先生や、農村計画、建築計画等マルチな実績を残された上田先生、いつもガリバンで刷った様な軽妙なコラムの様な文章と図版を併置した資料を配布された近代建築史の越野先生など、戦中戦後期に大学に入学した先生が数多くいらっしゃり、個性的な授業を学生のレベルとは無縁に勝手気ままにやっていた印象があります。
本日は授業の成果品が宅急便でおくられてきたので、総評と採点をして返却。そのあと住宅案のツメの作業。
つらつら作業をしていたら、知人が昨日の一級の合格発表で惜しくも合格を逃し悲しそうなメイルを書いて来たので、かける言葉もないながら電話をして勇気づけ、気がつくともう午後4時。あと一時間で娘を迎えにゆかねばなりません(202).
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